セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史 (ソフトバンク新書)
- 作者: 前島賢
- 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
- 発売日: 2010/02/18
- メディア: 新書
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セカイ系は終わったという前提から、ではセカイ系とはなんだったのか? と、再定義を試みた作品。
作者は1982年生まれ。私も1982年生まれ。
オタクとして、見てきたアニメ、読んできた漫画、小説、ラノベ、経験してきた空気……などなど筆者が過ごしてきた時代を同じような感覚で過ごしてきたので、すごく納得感のある一冊だった。
最後の参考文献一覧をみて、評論以外はほとんど全部読んだり観たりしてることに愕然とした程だ。
さて、セカイ系とはなんだったのだろう?
私は肌感覚として、いくつかの作品を、自信を持って「これはセカイ系」と言って挙げることができる。
でも、その基準ってなんだろう?
たぶん、答えはなくて、あの頃(2000年代前半)の空気の中でいろいろな作品に触れてきた人たちほど、その答えは出しにくいんだとおもう。感覚としてしか理解出来ていない。その感覚を共有できる人たちだけの便利なジャンルわけ。
それがセカイ系だと僕は思っていた。
さて、本書の面白い主張は『セカイ系というのは意味が変わってきている』という主張だ。
詳しい解説ははてなキーワードのセカイ系の項目に詳しいのでそちらにゆずる。
重要なのは、以下。
- 新世紀エヴァンゲリオンがひとつのエポックとなっている
- 最初はエヴァっぽいのをセカイ系と言っていた
- セカイ系の代表作は 『ほしのこえ』『最終兵器彼女』『イリヤの空、UFOの夏』
- キミとボクの関係が世界の運命に直結している
- ひとり語りが激しい
- '00年代中盤になると、セカイ系を意識して書かれたセカイ系というものが現れる
- 現代においては、セカイ系はひとつのサブジャンルとして定着している
概ね納得出来るし、参照されている作品群をみてもたしかにそのとおりだ。
でも、一点納得できないのが「ひとり語りが激しい」という点。
確かに独り語りが激しい作品であることがおおい。
しかし、それは本質じゃないと思う。なぜ独り語りが多いのか?
セカイ系とそうでないものを分けるのは、その主たる登場人物の意識が、その人物の内面に向いているかどうかだと思う。
戯言シリーズはセカイ系だと思う。
しかし、化物語はセカイ系では無いと思う。
その差は何か……を考えたら主人公が自分の内面に向かっているかどうかだ。
化物語はキャラクタ同士の会話とか、言葉遊びとか、バトルそのものとかが、作品の主題であり魅力だ。
本文中にこういう部分がある
「とりあえず、リピュア後半(引用者註:『シスター・プリンセスRePure』)はセカイ系かなあと。」
これが、上の私の主張の元だ。
シスター・プリンセスRePureというアニメは、Aパートは普通のストーリーもの、Bパートはそれぞれのキャラクタ(12人の妹たち)の妄想パート(!?)なのだ。
ほら、アイドルDVDみたいな感じ? ひとりでキャッキャウフフ的な?
つまりは、お話の主題は、キャラクターの内面へ、内面へと向かっている。
これがセカイ系なんじゃないのかなぁ?
というのは私の主張。
……まぁ、でもやっぱり肌感覚で感じてるものだから、よくわかんないよねー(´・ω・`)
さて、本書は最後に、今後のオタク文化の向かう方向について言及してある。
このへんは大塚英志の物語消費論*1や東浩紀の動物化するポストモダン*2、ゲーム的リアリズムの誕生*3を参照されたい。
物語消費からデータベース消費へ。で、そのつぎは?? というところ。
本書ではニコニコ動画を例にあげて「コミュニケーションとしての創作へ」という話が上げてあった。
んーー。ニコ動は潜在的な表現者に表現の場が広がったという意味はあるけれども、それがムーブメントとなっているのかなぁ……。
しかし、ニコ動を見てコミケに来たという、ニコ厨もおおいことだし。たしかにそうなのかもしれない。
同人ゲーム制作者としての僕から見ると、現在は物語消費とデータベース消費のハイブリッドにないっていると思う。特に東方ジャンル。
とはいえ、同人においては次が読めなくて、手をこまねいているのが現状なわけですが……。
とにかく、00年代をオタクとして全力で生きた私に取っても、総まとめとなったいい本でした。