名称未定ドキュメント"Que"

ゴーゴーカレーでロースカツビジネスルー増し頼んでキャベツを4回おかわりするブログ

文章の力。

どんなに感動的なストーリーの文章でも、本当に人の心を動かすのはその結末なんかじゃなくて、なんでもない日常なんだと思う。


自分が僕が本を読むのは父母の影響だと思う。小さな頃から本に囲まれていたけど、父母が「本を読みなさい。本を読みなさい」と口うるさく言うので本が嫌いになっていた。それでも、小学校の頃の通信簿には「本をよく読む子」と書かれていた。あの頃読んでいたのは図鑑とか歴史資料集とか父が買ってくるNewtonとか、そんなところ。漫画を読み始めたのは中学に入ってからで、小説を読み始めたのは高校に入ってからかな……。


高校を卒業するくらいまでは本からは学ぶことが多かった。知識や考え方。
浪人してからは本からは元気付けられたり、悩みの答えを見つけたり、そんなことが多くなった気がする。


本に限らず、文章には力がある。
力の受け止め方は読者によって様々。文章から感動をもらう人もいれば、不快な気持ちになる人、勇気をもらう人、死を思いとどまる人、笑いをもらう人、悩みの答えを見つける人……


僕は、いらいらしていたり、悩んでいたりするときに出会った文章にかなり助けられ、勇気を与えられ、悩みの答えを見つけたりした。そんなとき、その文章とのめぐり合いに感謝するし、文章を読むという習慣を生んだ家庭環境に感謝する。感情が高ぶったときにその思いをガーーーっと書くという習慣のきっかけとなった文章力向上委員会なんかにも感謝するし、文章を通じていろいろと個性的な(変な?)人たちと出会えたことにも感謝する。


最近は、どうしようもないこと、ひがみでしかないことにイライラし続けていたのだけど、今日、とある文章に出会ってそのことについてポジティブに考えることができるようになりそうだ。
人間は変わっていく生き物。自分と、自分以外の世界とのかかわりで人は変わっていく。今の自分は、今まで僕が出会ってきた人々(もしくは文章であったり、絵画であったり、風景であったり、動物であったり、映画であったり)によって作り上げられてきたんだ。人が一人では生きられないというのは多分そういうこと。きっと僕も僕以外の世界に何らかの影響と変化を与えながら生きているんだ。


言葉は無力で考えていることを過不足無く、誤解無く伝えるにはあまりにも不便な道具だけど、それでも言いたいことの何%かは確実に伝わる。


でも、往々にして、本当に伝わってほしい人に限ってまったく伝わらないんだよね。