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ゴーゴーカレーでロースカツビジネスルー増し頼んでキャベツを4回おかわりするブログ

マルドゥック・スクランブル 冲方丁




順次、映画化されて公開されている本作。大変面白かった。
大雑把にあらすじを言えば、殺されかけた少女が力を手に入れて復讐をする。
そんなお話。

実はめちゃめちゃ期待していた。
というのも、今年に入ってから読んだSFやファンタジーは"超"が付くほど面白く「ああ、これがSFか! これがファンタジーか!」と感嘆しまくりだったのだ。
伊藤計劃の作品群やディスコ探偵水曜日、新世界より、さらには古典の名作一九八四年まで読んでそのどれもが、SFやファンタジーと言うジャンルの特性を生かした、べらぼうに面白い作品だったのだ。

期待が高すぎた。
ぶっちゃけ、本作は「プロットは面白い」。
しかしSFとして優れているかと言われるとそうではないし、SFである必要もない。
ハヤカワ文庫から出てるし、なんで冲方丁がラノベ作家にカテゴライズされているのかを十分に理解できる作品であり、ラノベというのはなんなのかがなんとなくわかってくる作品であった。

例えば僕は機動警察パトレイバーが好きだ。特に押井守監督作品の「機動警察パトレイバー 2 the Movie」が大好きだ。
この作品の何が好きかというと、架空の世界で、架空の事件を想定しての徹底したシミュレーションに基づいてお話が進んでいくところだ。
首都東京を舞台にした、架空の戦闘状態を創りだすという物語。

ここですごいのは、if の世界の中でさらに if の状況を想定して、そこに現実的な解を当て得ているところ。
出発点からして、すでに架空であるのに、さらにその架空の世界ならではの問題点を見つけ出して、そこにリーチしていく。
そういうことができるからこそ、SFは面白い。そういう読書体験を今年は多くした。

しかし、マルドゥックスクランブルは違う。
ギミックこそSF世界であるが、そこに横たわっている問題は別にSFの世界の問題ではないし、カジノのくだりだってSFである必要がない。SFである必然性がないから、物語としてはすごく面白いけれども、SFとしてはたいして面白くないという結果になっている。

そこで、ストンと、この作家がラノベ作家にカテゴライズされている所以がなんとなくわかった。
いままでは「ラノベかどうかは、その本がでているレーベルで決まる」と思っていたけれども、実はそうじゃなくて、ただのプロットの肉付けでストーリーとして面白く、「あー、おもしろかった」で読み捨てが出来る程度のライトさをもったものがラノベと呼ばれるべきなのではないのだろうか?
もっと、読後にザラリとした感覚がのこり、哲学や、筆者の主義、主張が詰め込まれたものと区別できるのではないだろうか。
なんだか、ものすごく感覚的な感じなのだけれども、この作品を読み終わっておもった感想はこんな感じであった。