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動物化するポストモダン オタクから見た日本社会

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)を先によんでしまっていて、用語とか考え方がわからなかったのだけど、コッチをよんで全てのがつながった!


特にこの「動物化」という用語の意味。
これは用語を知らないとわかんないよ……


大塚英志の「物語消費論」をベースに2000年代の消費について書かれている(と俺は読んだ)本。
この本で大事なことは大きく二つ。

だとおもう。


データベース消費とはなんぞや?
物語消費論では、断片的な小さな物語を集める(消費する)ことが求められていたわけだが、現代はその物語すら求められていない。
では、いま求められているのは何かというと、小さな物語をさらに細かい単位に分解された「要素」が求められている。
どういう事か?
例えば僕は「貧乳」好きで「眼鏡っ子」萌えで「タイツ」大好き人間だ(最低だ。消えてしまえ)
そういうわけで、物語としては「貧乳」で「眼鏡っ子」で「タイツ」の女の子がでてくればOK! というわけだ。
オタクたちはそういった、要素の組み合わせに萌えるわけだ。


つまり、こういった「萌え要素」的なデータベースがあり、物語の制作者はこれらのデータベースを参照し、組み合わせることによって物語をつくっていく。
美少女ゲームや、ライトノベル、漫画やアニメをみていると、たしかにこのような要素の組み合わせによってキャラクタが作られてる。
しかもこのデータベースには様々な暗黙のルールがあり、オタク達の幻想が詰め込まれているのだ。
そして、かんなぎのヒロイン非処女で信者ブチギレ騒動につながるのだが、これに関してはところてんが考察しているのでそちらを参照。



そして、この本のタイトルであるところの「動物化」ってなんだ
これはヘーゲル哲学での「動物」「人間」の定義から来ている
本文から引用しよう

戦後のアメリカで台頭してきた消費者の姿を「動物」と呼ぶ。このような強い表現が使われるのは、ヘーゲル哲学独特の「人間」の規定と関係している。ヘーゲルによれば(より正確にはコジェーヴが解釈するヘーゲルによれば)、ホモ・サピエンスはそのままで人間的なわけではない。人間が人間的であるためには、与えられた環境を否定する行動がなければならない。言い換えれば、自然との闘争がなければならない。

ということだ。
つまり、人間とは現状にたいして否定する行動をとらなくてはならない。
しかし、現代、ポストモダンの世界においてはそうはいっていない

対して動物は、つねに自然と調和して生きている。したがって、消費者の「ニーズ」をそのまま満たす商品に囲まれ、またメディアが要求するままにモードが変わっていく戦後アメリカの消費社会は彼の用語では、人間的というよりむしろ「動物的」と呼ばれることになる/

ということだ。


なるほどなるほど。だから動物化するポストモダンなわけだ。



全体をとおして、「あーー、なるほど、そうだよねー」と思った部分がある。

ポストモダンの時代には人々は動物化する。そして実際に、この一〇年間のオタクたちは急速に動物化している。その根拠としては、彼らの文化消費が、大きな物語による意味づけではなく、データベースから抽出された要素の組み合わせを中心として動いていることが挙げられる。彼らはもはや、他者の欲望を欲望する、というような厄介な人間関係に煩わされず、自分の好む萌え要素を、自分の好む物語で演出してくれる作品を単純に求めているのだ。


なるほど。
自分は、現在はコンテンツの供給過多だと思っている。
しかし、ある一面からみると供給過多に見えるのだけれど、それを動物的に甘受する人達もいるわけだ。
それがポストモダンの時代の特徴なんだなー。


なかなか面白く、興味深く読む事ができた。