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ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2 東浩紀

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)


しまった。動物化するポストモダン*1から読むべきだった。



会社で「何よんでるのー?」と先輩社員に聞かれて「文藝評論ですよ。動物化するポストモダンって言う」って答えたら、隣の席の新人君(オタク)が「え!?」と言って渋い顔してました。
うーん。そんな渋い顔するようなないようとは思わないのだが。


行ってる事は至極まっとうで、共感できる。
美少女ゲームやライトノベル(この本の中ではキャラクター小説と言っている)についての説明は、普段から同じような印象をもっていたのだけれど、ウマく言語かできないでもやもやしていた部分をスッキリと言い表していて快感であった。


物語全般を読み解く上での新しい概念を提示している。
自分の中で良く噛み砕けてないのだが、いままでの読み方は『ストーリー』やその描かれている事と社会との関係について読んで行くのが主流だが(この言い方も本で行っていることと若干ずれていることは認識してるけど噛み砕けない)、この本ではそのストーリーの構造について、メタ構造について読み解いて行くという読み方が提示されていた。
実際に例に挙げられている九十九十九*2は、なるほどこういう読み方をすれば確かにわかりやすい。ゲーム的な構造なんだなー、と。


しかし、この本で一番共感できたのはライトノベルを『キャラクター小説』と読んだ事。
いわゆるライトノベル的小説はストーリーを描くというよりも『キャラクタ』を描いている。
私小説が『私』についての小説ならば、ライトノベルズはキャラクタについて述べている小説なので『キャラクター小説』だと。
なるほどなるほどー。


あと、いつも批評を読んでいると『作者はこんなこと意図してはかいてないんだろーな。批評者のこじつけじゃないのか?』と思ってしまうのだが、筆者はそのことに自覚的で、作者はきっと意図してないのだが、読み方の一つとしてこういう読み方もあるという事を提示しているといった内容が明示してあるところに好感をもった。


動物化するポストモダンよりもむしろ『波状言論 - 美少女ゲームの臨界点』を読みたい! と思った。
探すか。

*1:[asin:4061495755:detail]

*2:[asin:4062756242:detail]