名称未定ドキュメント"Que"

hidesukeの読書感想文

後悔の無いプロダクトをつくれているか? -- レディ・プレイヤー1を観て

ガラガラの映画館で話題の映画を観るのが大好きなんですよ。平日の早朝とかで大きめのスクリーンで見る映画は本当に最高です。

5月2日、平日とは言えGWの中日。何処の映画館も結構混んでいる中、海老名のAEONシネマが、結構ちゃんとした設備の割にスカスカだと言うことに気づいたので話題の映画 レディ・プレイヤー1 を観に行ったら、なんか涙が止まらなくなった。

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映画の説明はいいでしょう。仮想現実ゲームの世界でドッタンバッタン大騒ぎする映画で、別にわん泣きするようなストーリーじゃないです。でも、唐突に、ぐさりと胸に突き刺さるセリフがあって、それを聞いた瞬間涙が出てきて、止まらなくなって困った。それは劇中で、その仮想現実ゲームを作った人間が

僕の作ったゲームで遊んでくれてありがとう

と、言う。ただそれだけのシーン。その一言が深く胸に突き刺さって、もう、なんだか涙が止まらなかった。その時は「あー、俺もおっさんになって涙もろくなったなぁ」くらいに思っていたのだけど、帰りの電車でいろいろ考えていると、この涙の原因は『後悔だ』とふと思い当たった。

僕はソフトウェアエンジニアとして10年ちょいのキャリアを積んできた。おもにB2Cの領域で、両手の指じゃ足りないくらいのプロダクトをリリースしてきた。鳴かず飛ばずで終わったもの、ヒットしたもの、継続的に万単位のユーザが使っているものなど、様々だ。普通のwebサービス、ゲーム、ニッチな領域のプロダクトなどなど……。基本的に専門家ではない一般のお客さんが使うプロダクトを作ってきた経験の方が長い。

では、僕が作ったプロダクトを使っているお客さんの前で「僕が作ったプロダクトを使ってくれてありがとう」と胸をはって言えるか? と問われると若干モニョル。いや、すごくモニョルと思う。

もちろん、作ってきた一つ一つのプロダクトには愛着がある。しっかり育てていきたいし、ユーザにより便利に使ってほしい。やっつけ仕事で出したものなど一つとしてない。一つ一つのプロダクトにソフトウェアエンジニアとして誇りがある。

……と、同時にそれぞれのプロダクトに少しずつ後悔もある。「本当はもっとこうしたかった」「スケジュールの都合上あの機能はオミットした」「使い勝手がいまいちなのは分かっているけどそこを直すコストがかけられない」「キビキビうごかない」「テストコードをちゃんと書けてない」「きちんとマーケティングできなかった」などなどなどなど

どのプロダクトもリリースした喜びの記憶とともに、こういった後悔の記憶が少なからずある。後ろめたさと言ってもいい。仕事だから仕方ないじゃないか、と言われたらそうかも知れないけれども、でも後ろめたいことにはかわりがない。後悔だ。

この後悔があるせいで「僕が作ったプロダクトを使ってくれてありがとう」と胸をはって言えないんだ、ということに気づいた。

僕の作ったゲームで遊んでくれてありがとう

これが言えるということの素晴らしさ、羨ましさ。そこには後悔や後ろめたさなど微塵も無く、自信と誇りしかない。それに対する嫉妬と後ろめたさ、そして惨めさがガツンと胸に刺さって、涙が止まらなくなってしまったんだと思う。

後悔なく、まったくの思い通りで、ユーザに受け入れられるプロダクトをタイムリーに市場に投入するということは本当に難しいことだと思う。きっとこれからも後悔と後ろめたさを積み重ねながらソフトウェアエンジニアしていくのだろうと思う。でもいつか「僕の作ったプロダクトを使ってくれてありがとう」と胸をはって言えるようなプロダクトを世に出していきたいなぁ。そんなことを考える一日だった。