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ゴーゴーカレーでロースカツビジネスルー増し頼んでキャベツを4回おかわりするブログ

山ん中の獅見朋成雄

山ん中の獅見朋成雄 (講談社文庫)

山ん中の獅見朋成雄 (講談社文庫)


舞城王太郎作品と言えば、そのぶっ飛んだ発想と文章スタイルが有名だが、なんと言ってもの作家だ。
どんなに人が死のうと、残酷劇場が繰り広げられようと、ゼッタイテーマは愛なのだ。
この作品も、確かに根底には愛がある。
ただし、ソレは自己愛の話。
多分、この作品のテーマはアイデンティティだ。


主人公、獅見朋成雄は背中から首にかけて立派な鬣のような毛が生えている。
足が速く、その鬣のせいもあって、彼はケモノのようだ……と鬣を嫌い、勉強をすることで、自分はケモノではないと思おうと必死になっている。
かくかくしかじかあって、彼はその鬣を剃ってしまうチャンスが訪れる。
いままであれほど嫌だった鬣、何故剃ってしまおうと思わなかったのだろうか、と思う。
そってしまおうと思う反面、その鬣を剃ってしまったら、もう獅見朋成雄ではなくなってしまうのではないか……という恐怖が生まれる。
結局、かれは剃るか、剃らないかで迷うくらいなら剃ってみよう、という軽いノリで剃ってしまうのだが、その喪失感のせいで涙を流し、倒れてしまう。
鬣を剃ってしまった事で、彼はなんだか凶暴になってしまう。
表面上はなんら代わりがないように見えるけれども、ふとした瞬間にその凶暴性が顔をのぞかせる。


エヴァンゲリオン世代の僕達はよく聞いたかもしれないが、自分を自分として認識する為には他者が必ず必要だ。他人との違いを認識することでしか、自分を自分と認識できない。
獅見朋くんの場合は、あまりのも他人とは違う『鬣』があるせいで、過剰に自分というものを意識させられていたのだろう。
ある種のコンプレックスだ。
その自分のアイデンティティである『鬣』をそり落とすことによって、彼は自分を失った。
自ら、自分を自分たらしめていた鬣を放棄した喪失感がイライラをうみ、彼は何人もの人を容易く殺してしまう。


結局彼は、彼の鬣を激しく愛していたのだ。
彼は、そうは思っていないかもしれないが、新しい自分になることに成功した。
最後、彼は閉じ込められていた場所から脱走をする。決して自分の意思ではなく、他人に促される形で……なのだが
まぁ、それが彼の新しい人生の一歩となったのだろう。


ここ最近の舞城作品の中ではダントツに読みやすく理解しやすかった。
……なんか真面目に感想文的な事書いてるよ!俺! キモ!